【巻頭言】2020年7月5日 強いられて・・・(マルコ6章45~56節)
マルコ6章53節以下にはゲネサレトという土地での出来事が書かれています。そこでイエスさまは病にある人たちを癒やします。この箇所から、二つのことを教えられます。一つは、イエスさまは弟子たちをベトサイダへ向かわせましたが、到着したのはゲネサレトという別な土地でした。弟子たちが舟に乗った時、逆風がありましたが、私たちの人生も時に逆風が吹きます。そして、自分が目指していたところ、目的地と思っていたところとは別なところに行くようなこともあります。しかし、そこでも主は神さまのみわざを行われるのです。
もう一つのことですが、弟子たちはパンの出来事を理解できず、心が鈍くなっていた、とあります。それは弟子たちだけでなく、パンと魚に与った群衆も同じだった、と思います。またゲネサレトで癒やされた人たちも同じだった、と思います。そして、私たちも同じではないでしょうか。心鈍く、イエスさまが言われたこと、行われたことを見ても、聞いても、理解しない。それでも主は私たちに恵みを与え続け、語り続けておられるのです。「安心しなさい。わたしだ。恐れることはない」。私はあなたと一緒にいる、と何度も語っておられるのです。
主は弟子たちを強いて舟に乗せました。強いられて、ということですが、「恵みの強制」という言葉があります。それは神さまの恵みを本当に知ったなら、「私はイエスさまによって罪から救われて、新しい人生を生きる者とされた!」その恵みを本当に知ったなら、その人は心の内にある神様の恵みの喜びに押し出されて、自ら神さまを愛すること、神さまに従うことに励むようになる、というのです。主はそのことを待っておられるのです。私たちのことを祈っておられるのです(「祈るために山へ行かれた」46節)。私たちは神さまの恵みに強いられて、押し出されて生きる者でありたいと思います。
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